トヨタ博物館

愛知県長久手市横道41−100


乗物の散歩道
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シルバーの散歩道・遊歩散策
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2F施設と実車展示案内表(つづき)

34

 イスパノスイザ 32CV (1928年 フランス)

51  キャデラック シリーズ60スペシャル (1938年 アメリカ)
    
トランクルーム設置、3ボックスセダンの原型、コラムシフト方式を採用
35  デューセンバーグ モデルJ (1929年 アメリカ) 52  フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ (1938年 ドイツ)
36  ベントレー 4 1/2リットル (1930年 イギリス) 53  パッカード トゥエルヴ [ルーズヴェルト専用車](1939年 アメリカ)
     
装甲車並のボディと防弾ガラスを装備
37  アルファロメオ 6C (1930年  イタリア) 54  ドラージュ タイプ D8ー120 (1939年 フランス)
38  シボレー コンフィデレイト シリーズBA (1932年 アメリカ) 55  フォード モデルGPW [ジープ]  (1943年 アメリカ)
39  フォード モデル40 (1934年 アメリカ) 56  タッカー ’48 (1948年 アメリカ) 51台生産されただけで会社は倒産
40  シボレー マスター シリーズDA (1934年 アメリカ) 57  ポルシェ 365 クーペ (1951年 ドイツ) スイングドアー
41  デ ソート エアフロー シリーズSE (1934年 アメカ) 58  ソープボックスダービー車 (1954年 アメリカ) 
42  メルセデス ベンツ 500 (1935年 ドイツ) 59  フォード サンダーバード (1955年 アメリカ) V型8気筒で二人乗り
43  フィアット 500 (1936年 イタリア) 60  メルセデスベンツ 300 SL クーペ (1955年 ドイツ)
44  ランチ アストゥーラ  ティーポ 233C (1936年 イタリア) 61  オースチン ヒーレー スプライト (1958年 イギリス)
45  リンカーン ゼファ シリーズHB (1937年 アメリカ) 62  キャデラック エラルド ビアリッツ (1959年 アメリカ)
   V8 6、4リッター345馬力エンジン 
46  シトロエン11B (1937年フランス)前輪駆動(FF)方式世界初の量産車。 63  ジャガー Eタイプ (1965年 イギリス)
47  モーリス エイト シリーズT (1937年 イギリス)  付属品ギャラリー
48  ロールスロイス 40/50HP フアンタム V (1937年 イギリス)
               
V12気筒エンジンを搭載
 シェル ガソリンポンプ(イギリス)
 レッド クラクン ガソリンスタンド
49  コード フロントドライブ モデル812 (1937年 アメリカ)  ルネ ラリック カーマスコット展示室 
50  キャデラック シリーズ 60 スペシャル (1948年 アメリカ)
               
局面ガラスを世界初採用

3Fの「日本車展示」 以降は「後編 トヨタ博物館」へ

では引き続き「2F 欧米車展示」へ

 34.イスパノスイザ 32CV (1928年 フランス) 

イスパノスイザ 32CV H6b (1928年 フランス)
航空機技術を採り入れた世界初の倍力装置付き4輪ブレーキやOHC機構を持つ軽合金エンジンを搭載。
しゃれたボディが架装され、プレスティジカーの王座に君臨した。
(現地説明板による)

仕様
ホイールベース  3、690mm      
エンジン型式   水冷直列6気筒OHC 
総排気量     6、597c㎥     
最高出力     135hp(99kw)    

参考値
全長   5、642mm
全幅   1、853mm
全高   1、890mm
車両重量 2、379kg 
(現地説明板より)

 35.デューセンバーグ モデルJ (1929年 アメリカ) 

デューセンバーグ モデルJ(1929年 アメリカ)
アメリカ最高のコーチビルダーが架装したボディと、レーシングカー並のパワーが特徴。
展示車は、数あるバリエーションの中でも有名なデュアルカウルスタイルのモデル。
現地説明板より)

仕様
ホイールベース   3、620mm        
エンジン型式   水冷直列8気筒DOHC
総排気量     6、882c㎥      
最高出力     265hp(195kw)   

参考値
全長   5、373mm
全幅   1、844mm
全高   1、768mm
車両重量 2、469kg 
(現地説明板より)

庶民には高嶺の花
アメリカの自動車史において格別の人気を誇るのがデユーセンバーグです。
当時の水準をはるかに上回るエンジン性能と、アメリカ最高の車体メーカーによる美しいボディの
組み合わせの超高性能豪華車で値段も飛び抜けて高いクルマでした。
それはとくにアメリカンドリームを実現した人々をとりこにしました。
1930年代にアメリカで大スターと言われるには二つの条件がありました。
ひとつはオスカー賞をとること、そしてもうひとつはヂューセンバーグを手に入れることです。
クラークゲーブルやゲイーリー・クーパーをはじめ名だたる映画スターがデューセンバーグのオーナーとなりました。
また、世界各国の王侯貴族にもひっぱりだこでした。
展示車のモデルは、後部座席にも風よけのガラスを持つデユアルカウルスタイルのフェトーンで、
数あるバリエーションのなかでも有名なモデルです。
モデルはJは一番安いものでもフォードモデルTを50台以上買える値段だったと言われることからも
庶民にはまさに高嶺の花であったことがわかります。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

36.ベントレー 4 1/2リットル (1930年 イギリス)

ベントレー 4 1/2リットル(1930年 イギリス)
ベントレーは1920年代にル・マンで4連覇し、その名を世界にとどろかせた。
高速・長距離走行ガ可能な大型ボディと大排気量エンジンを特徴としていた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、980mm     
エンジン型式   水冷直列4気筒OHC
総排気量     4、398c㎥     
 最高出力    110ph(81kw)    

参考値
全長   4、374mm
全幅   1、728mm
全高   1、779mm
車両重量  1、564kg  
(現地説明板より)

世界一速いトラック
ベントレーはイギリス車の名声を最初に世界にとどろかせたメーカーです。
すなわち、1924年のルマン24時間レースにベントレーが優勝するまでは、
イギリス車の評判はあまりぱっとしませんでした。
その後1927年からル・マン4連勝、1924年の勝利を含めれば、
この時期なんと5回もル・マンを制覇するという偉業をなしとげました。
中でも1928年のル・マンで優勝を飾った4、5リットルのツアーラは、
ベントレーで最もポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴しています。
展示車はそれと同じタイプのモデルです。
1920年から30年代初め、すなわちビンテージ期のベントレーの特徴は、
ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したころから、
この時代の他の純粋なレーシングカーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことです。
ただそのために自動車にも芸術的な美しさを求めたブッガティからは”世界一速いトラックだ”と皮肉られました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 37.アルファロメオ 6C (1930年  イタリア) 

 37.アルファロメオ 6C 1750 グランスポルト(1930年 イタリア)
ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつ。
スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1、752c
㎥の軽快なエンジンで、ミッレ・ミリアをはじめ数々のレースに有名を馳せた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、775mm                     
エンジン型式   水冷直列6気筒DOHC、スーパーチャージャー
総排気量     1、752c㎥                    
最高出力     85hp(63kw)                   

参考値
全長   4、070mm
全幅   1、625mm
全高   1、330mm
車両重量  942kg 
(現地説明板より)

戦績と高速レースで名を上げたアルフアロメオ
アルフアロメオの歴史は、フランス車の組み立てを行っていたミラノのイタリアダラック社を
数人の企業家が買収し、アルファ社を設立したことに始まります。
1910年のことでした。
やがて経営陣に加わったニコラ・ロメオが社長になると社名がアルファロメオとなりました。
彼は自動車レースにおおいに意欲を燃やし、スポーツカーの製造に全力をあげました。
1920年に結成されたレーシングチームのドライバーの一人に、
高性能スポーツカー”フェラーリ”の生みの親となるエンツオ・フェラーリがいました。
展示車はフェラーリがフィアットから引き抜いた設計者ヴィットルオ・ヤーノの傑作のひとつです。
そのレースでの戦績をあげると切がありませんが、特に知られているのは、公道を1、000マイル、
およそ1、600km走る”ミッレ・ミリア”で、史上初めて平均時速100km以上で
走り抜いてみごと優勝したことです。
このアルファロメオはとくに高速コースでの長距離レースに抜群の強みを発揮しました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 

 38.シボレー コンフィデレイト シリーズBA (1932年 アメリカ)

シボレー コンフィデレイト シリーズBA(1932年 アメリカ)
フォードとの販売競争もあり、6気筒エンジンやキャデラックに似せたスタイルなどで高級化したGMの大衆車。
”ベビーキャデラック”とも呼ばれた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、750mm       
エンジン型式   水冷直列6気筒OHV 
総排気量     3、179c㎥    
最高出力     60hp(44kw)   

参考値
全長   4、388mm
全幅   1、767mm
全高   1、761mm
車両重量 1、348kg 
(現地説明板より)

フォードと高級化競争
1920年代後半、シボレーとフォードの闘いは激しさを増していました。
フォードが1927年にモデルAを発表すると、シボレーも1929年から
主力車種に6気筒エンジンを採用して対抗しました。
こうした実用車の高級化の中にあって1932年のシボレーは、
GMの最高級車キャデラックV16を小ぶりにしたような豪華なスタイリングで登場しました。
室内に至るまで美しく化粧され、装備も充実していました。
大型高級車と違うところはそのサイズだけで、
”ベビーキャデラック”の愛称で人々に親しまれました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 39.フォード モデル40 (1934年 アメリカ) 

フォード モデル40 (1934年 アメリカ)
ライバル、シボレーの6気筒に対し、パワフルでスムースなV8エンジンを採用。
モデル40は丸みをおびたボディと傾斜したグリルを持ち、流線型デザインの兆しが見られる。
(現地説明板)

仕様
ホイールベース  2、852mm         
エンジン型式   水冷V型8気筒、Lー頭型 
総排気量     3、621c㎥        
最高出力     91hp(67kw)       

参考値
全長   4、450mm
全幅   1、735mm
全高   1、745mm
車両重量 1、264kg 
(現地説明板より)

全てのモデルにV型8気筒エンジンを
実用車を高級化する切り札としてフォードが出した答えは、
すべてのモデルにV型8気筒エンジンを使ういう、当時の常識からは途方もないものでした。
実際には4気筒エンジンも残されましたが、
まず、1932年にV8エンジンを採用したモデルが発表されました。
V8エンジンの利点はパワフルでスムーズなことですがサイズがコンパクトなことから
スタイルに大きな影響をもたらしました。
短いボンネット部分は違和感なく流線型を採り入れることができました。
展示車は1934年型は丸みをおびたボディと傾斜したハート型のフロントグリルを持ち、
すでにその兆しがみられます。
フロントグリルをはじめ7カ所にV8マークが付けられています。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 

 40.シボレー マスター シリーズDA (1934年 アメリカ) 

1920年代後半から毎年のようにモデルチェンジを行ってきたシボレーは1934年、
マスター・セダンで中折れのV型ラジエーターグリルを採用しました。
多くのクロームメッキ部品を使って豪華にみせ、低いボディは早くも流線型をイメージしていました。
そのほか、構造的には失敗に終わりましたが、乗り心地をよくするために前輪独立懸架を採用した画期的なモデルでした。
なお、トヨダAA型のエンジンは、シボレーの1933年型のエンジンを参考にして開発され、
この1934年のものを改良のために研究されました。
燃費のいいシボレーの6気筒エンジンを手本として選んだことは、修理の時に部品を入手し易いだけでなく正しい選択でした。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

シボレー マスター シリーズDA (1934年 アメリカ)
V型ラジエターグリル、多くのクロムメッキ部品、流線型をイメージした低いボディ、前輪独立懸架を採用。
性能のいい直6型エンジンはトヨダAA型にも影響を与えた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、845mm       
エンジン型式   水冷直列6気筒OHV 
総排気量     3、389c㎥      
最高出力     80hp(59kw)     

参考値
全長   4、568mm
全幅   1、760mm
全高   1、723mm
車両重量 1、480kg 
(現地説明板より)

 41.デ ソート エアフロー シリーズSE (1934年 アメリカ)

デ ソート エアフロー シリーズSE (1934年 アメリカ)
流線型デザインやエンジン配置、ボディ構造等あらゆる点で画期的なモデル。
進歩過ぎたため販売面では失敗に終わったが、他メーカーへの影響は大きかった。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、934mm         
エンジン型式   水冷直列6気筒、Lー頭型 
総排気量     3、956c㎥        
最高出力     100hp(74kw)       

参考値
全長   4、918mm
全幅   1、835mm
全高   1、710mm
車両重量 1、640kg 
(現地説明板より)

進歩的すぎた流線型デザインで販売に問題
多くのメカーがまだ段階的に流線型デザインを採り入れ始めていた1934年、
クライスラーが極端に流線型デザインにしたエアフローを発表しました。
しかし、そのスタイルがあまりにも進歩的すぎたため、
人々には受け入れられなくて販売面では失敗に終わりました。
エアフローは基本構造も外観も当時の常識をはるかに超えていました。
エンジンの位置をそれまでの常識的な位置より前に出して、リアシートの乗り心地を大幅に改善したり
現代のモノコックに近い合理的で頑丈なボディ構造を採用したりと、あらゆる点で画期的でした。
このエアフローのシャシーやボディ構造はトヨダAA型の開発に大きな影響を与えました。
エンジンの位置を前に出すというエアフローの進んだ設計はGMやフォードもすぐに採り入れ
たちまち一般化しました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 42.メルセデス ベンツ 500 (1935年 ドイツ) 

メルセデス ベンツ 500 (1935年 ドイツ)
数々のレースに活躍したSシリーズの後継モデル。
スーパーーチャージャー付直列8気筒OHVエンジンと前懸架を持つ、高度に洗練された超豪華ツアラー。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  3、290mm       
エンジン型式   水冷直列8気筒OHV、
                       スーパーチャージャー 
総排気量     5、018c㎥       
最高出力     160hp(118kw)    

参考値
全長   4、934mm
全幅   1、828mm
全高   1、675mm
車両重量 2、254kg 
(現地説明板より)

ダイムラー社とベンツ社は合併
ダイムラー社とベンツ社は1926年に合併し、車の名前はメルセデスベンツとなりました。
当時ダイムラー社の主任設計技師だったフェルディナント・ポルシェ博士は1927年にSシリーズという
高性能車を完成させ、それは数々のレースに目覚ましい活躍をしました。
ポルシェ博士はSシリーズを最後にダイムラーベンツ社を去りましたが、
Sシリーズはさらに改良が重ねられて同社の最高傑作のひとつとなります。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

500Kの意味は?
展示車の500Kは、Sシリーズの後継モデルですが、Sシリーズが純粋なスポーツカーであったのに対し、
こちらは高度に洗練された超豪華なツーリングスポーツカーといった性格でした。
それはデザイン面でも「バランスの良い優れた車」といえます。
500はエンジンの排気量5、000ccを、Kはコンプレッサーすなわちスーパーチャージャーを意味しています。
それはアクセルを床までいっぱいふみつけることにより作動して、
最高出力を100馬力から160馬力へ高めることができました。
Kシリーズは1934年から36年までの間におよそ300台造られました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 43.フィアット 500 (1936年 イタリア)

フィアット 500 (1936年 イタリア)
トッポリーノの愛称で親しまれた500ccの小型車。
小さなボディに十分な居住スペースを持ち、フロント独立懸架や4輪油圧ブレーキなど贅沢なメカニズムを搭載していた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、000mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒、Lー頭型 
   総排気量    569c㎥             
最高出力     13hp(10kw)        

参考値
全長   3、215mm
全幅   1、275mm
全高   1、377mm
車両重量  507kg 
(現地説明板より)

ニックネームは”トッポリーノ”
形が小ネズミのようにかわいいことから”トッポリーノ”というニックネームで親しまれ、
のちイタリア中を走り回る”フィアット500”は1936年に完成しました。
それは、当時の技術ではむずかしいと言われた500ccクラスのクルマで、
大変小さなボディに充分な室内スペースを確保していました。
しかも驚くべきことに、フロントの独立懸架や4輪油圧ブレーキなど
大型車と変わらない贅沢なメカニズムを備えていました。
すなわち、小さいから我慢する、ではなく、小さいけれど大きいクマに劣らぬ性能で
満足するという、いわば史上初の本格的な小型車でした。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

矢印型方向指示器

「ローマの休日」の名脇役
フィアット500を設計したのはダンテ・ジアコーサで、
ミニの設計者、アレック・イシゴニスと並び称されました。
屋根をオープンにできるタイプのトッポーリーノはオードリー・ヘップバーンが
主役を演じた「ローマの休日」ですばらしい脇役として登場しました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 

 44.ランチ アストゥーラ  ティーポ 233C (1936年 イタリア)

ランチ アストゥーラ  ティーポ 233C (1936年 イタリア)
ランチアが1931年に発表したアストゥーラは、1933年にエンジンを大型化。
1935年以降はピニン・ファリーナらが魅力的なボディを架装し、高級スポーツカーとなった。
(現地説明板より)

仕様
      ホイールベース   3、212mm         
エンジン型式   水冷V8気筒OHC 
総排気量     2、972c㎥    
最高出力     82hp(60kw)   

参考値
全長   5、227mm
全幅   1、734mm
全高   1、598mm
車両重量 1、582kg 
(現地説明板より)

品質と個性の名車
フィアットのレーシングドライバーだったヴィンチェツォ・ランチアが自動車を始めたのは1906年のことでした。
彼は、「技術的な妥協は絶対にしない」という信念の持ち主で、
その信条にしたがって品質と個性とを重視した車だけをつくることに邁進しました。
ランチア アストゥーラは、レンチアの名前を不朽のものにした名車ラムダに代わるモデルとして、
アルテナとともに1931年に発表されました。
ランチアはアルファロメオと肩を並べ、スポーツカーの華をさかせたメーカーでしたが、アストゥーラは当初、
それほどスポーティなモデルではありませんでした。
ところが1933年、エンジンを大型化したことで時にはアルファロメオを破るほどの
高性能なツーリングカーに成長します。
1935年以降はピニン・ファリーナなどのカロッツェリアが魅力的なボディを架装して高級スポーツカーの道を選びました。
1936年のこのモデルもピニン・ファリーナの手になるものです。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 45.リンカーン ゼファ シリーズHB (1937年 アメリカ)

前開きのエンジンフード、ボディに埋め込まれたヘッドランプなど美しくまとめられた未来的な流線型デザインで人気の的となった。
フオルクスワーゲンにも影響を与えた。
(現地説明板より)

リンカーンは1922年以来フォード自動車の高級車部門ですが、その名前はアメリカ合衆国第16代大統領の名前からとられました。
1935年に登場したリンカーン・ゼファーはまさしく完成された流線型デザインのクルマでした。
前開きのエンジンフード、ボディに埋め込まれたヘッドランプ、名残りだけをとどめるドア下のサイドステップなど、
美しくまとめられた未来的なデザインたちまち人気の的となりました。
ゼファーの名前は、当時アメリカの鉄道で最高の人気を誇っていた流線型の超特急列車の名前にあやかってつけられました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

仕様
ホイールベース  3、098mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒、Lー頭型 
総排気量     4、380c㎥         
最高出力     110hp(81kw)       

参考値
全長   5、143mm
全幅   1、854mm
全高   1、753mm
車両重量 1、643kg 
(現地説明板より)

 前輪駆動(FF)方式を採用した世界初の量産車。
46.シトロエン 11B (1937年 フランス)

シトロエン 11B (1937年 フランス)
前輪駆動(FF)方式を採用した世界初の量産車。
ボディ構造・サスペンションも革新的でシトロエンの先進性・独創性はこの車から始まった。
(現地説明版より)

仕様
ホイールベース    3、076mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒OHV 
総排気量     1、911c㎥      
最高出力     46hp(34kw)     

参考値
全長   4、568mm
全幅   1、793mm
全高   1、512mm
車両重量 1、000kg 
(現地説明板より)

ヨーロッパで初の大量生産方式を採用
1920年代、アメリカのフォードにならった大量生産方式をヨーロッパでいち早く採り入れて
大成功を収めたシトロエンは、1934年にフロントドライブ方式のクルマを発表しました。
それに次々と改良を加え1937年に発表したのが展示車の11Bです。
人々は今でもこのクルマを「トラクシオンアヴァン」と呼んでいます。
それはフロンドライブ、すなわち前の車輪にエンジンの力を伝えて走るという意味ですが、
11Bはフロントドライブのメリットを活かした設計で量産された世界初のクルマでした。
モノコックボディ・前輪独立懸架
フロントドライブ方式のほかに、卵の殻のようなモノコックボディ、前輪独立懸架など斬新なメカニズムも採用しました。
その結果、当時のスポーツカーを上回る走行性能を発揮し、安定性や乗り心地のすばらしさは、
のちのフランス車の特色になりました。
トラクシオンアヴェァンは1957年にDSというモデルに道を譲るまでの23年間におよそ76万台が生産されました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

シトロエンが実用化した前輪駆動車
前輪駆動車は、1920年代に欧州とアメリカに登場していますが、
初の大量生産車となったのは1934年にシトロエンガつくったこのモデルでした。
 FF車はプロペラシャフトや後輪軸を省けるため軽量化でき、床を下げ室内を広く、
同時に重心を下げて走行安定性や操作性を高めることが可能です。
シトロエン車は、当時としては画期的なモノコックボディやトーションバースプリングを採用し手このメリットを最大限に生かしました。
(現地説明版より)

 47.モーリス エイト シリーズT (1937年 イギリス) 

イギリスの国民性に合った実用車
モーリス社は順調に発展を続け、1920年代後半にはイギリス最大のメーカーになっていました。
しかし、1930年代に入ってからも、イギリスの大衆車には他の欧州車に比べて、
大きな進歩は見られませんでした。
1934年に発表された、このモーリス・エイトも、10年前に登場して一躍普及した
オースチン・セブンからさほど変化していませんでした。
もちろん、スピードを必要としない環境や保守的な国民性が、新しくて複雑なメカニズムを
受け入れなかったのかもしれませんが、最大の理由は整備や手入れをオーナーにまかせたことだと考えられます。
経済的に乗ることが実用車の本質であると考えたのです。
ちなみにモーリスエイトは4年間に25万台も売れました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

モーリス エイト シリーズT (1937年 イギリス)
当時のイギリスでは経済的に乗ることが実用車の本質とされ、
オーナーが自分で整備できることが重視された。
モーリスエイトもそんなイギリス流の車だった。
(現地説明版より)

仕様
ホイールベース  2、286mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒、Lー頭型 
  総排気量    918c㎥            
最高出力     23.5hp(17kw)      

参考値
全長   3、581mm
全幅   1、384mm
全高   1、592mm
車両重量  739kg 
(現地説明板より)

 48.ロールスロイス 40/50HP フアンタム V (1937年 イギリス)
V12気筒エンジンを搭載

ロールスロイス 40/50HP フアンタム V (1937年 イギリス)
航空機技術を生かしたV12気筒エンジンを搭載
前輪独立懸架を採用し、乗り心地と操縦性を向上。
ラジエーター配置の変更で室内スペースも大きくなった。
(現地説明版より)

仕様
   ホイールベース  3、607mm         
エンジン型式   水冷V12気筒OHV 
総排気量     7、338c㎥    
最高出力     未公表       

参考値
全長   5、527mm
全幅   1、882mm
全高   1、823mm
車両重量 2、450kg 
(現地説明板より)

おかかえ運転手が必要
ロールスロイスフアンタムVは1929年に販売開始されたフアンタムUの後継車として1935年に登場しました。
大きな変更点はエンジンを直列6気筒からV型12気筒にしたことと、前輪に独立懸架を採用したことでした。
このV型12気筒エンジンは、長い時間をかけて蓄積した航空機エンジンの豊富な知識や経験を生かしたものでした。
排気量はわずかに小さくなったものの出力は1割強増やされていました。
前輪独立懸架は、ロールスロイス社が1920年代後半から高級車にふさわしい乗り心地と操縦性の
改善のために地道に研究を続けた結果採用されたもので乗り心地と操縦性は格段によくなりました。
展示車のボディはサルーンと呼ばれるタイプで、運転席と後部座席の間に仕切りガラスが付いており、
おかかえの運転手が運転することを前提としたものです。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 49.コード フロントドライブ モデル812 (1937年 アメリカ)

コード フロントドライブ モデル812 (1937年 アメリカ)
「変わった車は売れる」という持論を持つ実業家、コードが、生み出した前輪駆動(FF)、
リトラクタブル式ヘッドランプ、負圧を利用したギアチエンジなどが特徴。
(現地説明版より)

仕様
  ホイールベース   3、175mm         
エンジン型式   水冷V8気筒、Lー頭型
                    スーパーチャージャー 
総排気量     4、739c㎥    
最高出力     170hp(125kw)  

参考値
全長   5、096mm
全幅   1、820mm
全高   1、537mm
車両重量 1、828kg 
(現地説明板より)

リトラクタブル式ヘッドランプ

フロントドライブ方式や電気式のバキュームギアチェンジ
若き実業家エレット・コードは1924年にはオーバーン、1927年にデューセンバーグを相次いで買収し、
1929年には自らの名前を付けた画期的なフロントドライブ車”コードL29”を発売しました。
コードが34才の時のことです。
コードは「変わったクルマは売れる車である」という販売者哲学を持っていました。
L29はアメリカ初の量産フロントドライブ車でしたが、性能が十分でなかったこともあり、
売り上げが振るわず会社は危機にさらされます。
それを救う切り札として1935年に発売されたのがコード2番目のモデル810でした。
その発展型が812になります。
これらはフロントドライブ方式や電気式のバキュームギアチェンジのほか
格納式ヘッドライトを持つといった先進的なメカニズムを備えていました。
エンジンルームから外へ飛び出したメッキのパイプは排気管で、
それは馬力アップ用のスーパーチャージャーが付いていることをアピールしています。
なお810、812は特徴的なボンネット部分の形から「棺おけ形ノーズのコード」と呼ばれるようになりました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 局面ガラスを世界初採用
50.キャデラック シリーズ 60 スペシャル (1948年 アメリカ)
トランクルーム設置、3ボックスセダンの原型、コラムシフト方式を採用

ャデラック シリーズ 60 スペシャル (1948年 アメリカ)
キャデラック初の戦後型デザインとなるモデル。
フロントガラスに局面ガラスを世界初採用
リアフエンダー後端のテールフィンは双胴戦闘機の尾翼にヒントを得たもので、その後流行した。
(現地説明版より)

仕様
     ホイールベース  3、382mm         
エンジン型式   水冷V8気筒SV 
総排気量     5、674c㎥    
最高出力     150hp(112kw)

参考値
全長   5、718mm
全幅   1、993mm
全高   1、650mm
車両重量 2、089kg 
(現地説明板より)

1938年のキャデラック・60スペシャルは、
実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデルと言えます。
ドアの下のサイドスッテプがない、低く幅広いスタイルは力強く、高級感を演出するにふさわしいものでした。
何より客室の後ろに張り出したトランクルームを付けたことが注目されます。
このスタイルはトヨタが戦前に試作した大型B乗用車などにも採り入れられ、
現代のスリーボックスセダンの基本形がこの時できあがりました。
また、60スペシャルはギアチェンジがハンドルのところに着いたレバーで
できるコラムシフトはシフト方式を採用したことでも有名でした。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 スペアタイヤ・カバー付き
51.キャデラック シリーズ60スペシャル (1938年 アメリカ)

キャデラック シリーズ60スペシャル (1938年 アメリカ)
実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデル。
トランクルームが設けられ、現代の3ボックスセダンの原型となった。
コラムシフト方式を採用したことでも有名。
(現地説明版より)

スペアタイヤ外付け
スペアタイヤがカバーされていますが、不自然な形で目立ちます。
これはそれまでの古いデザインにこだわる人のために用意された注文装備品であって、
本来はトランクルーム内に積まれるように設計されました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

仕様
     ホイールベース  3、382mm         
エンジン型式   水冷V8気筒SV 
総排気量     5、674c㎥    
最高出力     150hp(112kw)

参考値
全長   5、8718mm
全幅   1、993mm
全高   1、650mm
車両重量 2、089kg 
(現地説明板より)

 52.フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ (1938年 ドイツ)

フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ (1938年 ドイツ)
ヒトラーの国民車構想にポルシェ博士の企画が採用されて誕生。
流線型ボディ、独立懸架およびリアエンジン方式は当時ドイツで進歩的な設計だった。
(現地説明版より)

仕様
      ホイールベース  2、400mm         
      エンジン型式   空冷水平対向4気筒OHC
総排気量     985c㎥    
最高出力     24hp(18kw)

参考値
全長   4、050mm
全幅   1、550mm
全高   1、550mm
車両重量  683kg 
(現地説明板より)

開発者はポルシェ
1933年2月、ベルリンモーターショーの開会式にあたって、政権を獲得したばかりの
ヒトラーは「われわれは今こそ”国民のためのクルマ”を持つべきだ」と熱っぽく演説しました。
”国民のためのクルマ”をドイツ語では”フオルクスヴァーゲン”といいます。
ちょうどそのころ、技術的に完璧な小型車をツこることしか頭になかった設計者が居ました。
フェルディナント・ポルシェです。
ポルシェの考えた小型車にヒトラーはゴーサインを出しました。
2年間の開発期間を経て最終試作車が1938年に完成しました。
この展示車はそのレプリカです。
技術的には、流線型ボディ、独立懸架および燃費がよく信頼性の高いエンジンを
車体後部に置くという当時のドイツで進歩的とされていた設計が採用されていました。
タイプ38ができた年にヒトラーはフオルクスワーゲンをKdF(カーデフェ)と命名しました。
KdF(Kraft durch Freude:)は「喜びを通じて力を」という意味のドイツ語の頭文字でした。
間もなく戦争が起こりKdFは量産に移されることはありませんでした。
戦後生産が始められたときは、車名はフオルクスワーゲンにされました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

1938年、ヒトラーは*KdFワーゲンと命名し
ドイツ国民への普及のため、賃金天引き貯蓄運動を展開。
「もし自分の車を運転したかったら、週に5マルク貯金しよう!」の誘いに応じて多くのドイツ人が貯金を始めたが、
まもなく大戦が勃発し、誰もが待望の車を手に入れることはできなかった。
車名が正式にフオルクスワーゲンとなったのは1945年である。
*KdF(Kraft durch Freude:歓喜による力)
(現地説明版より)

 装甲車並のボディと防弾ガラスを装備
53.パッカード トゥエルヴ [ルーズヴェルト専用者] (1939年 アメリカ)

パッカード トゥエルヴ [ルーズヴェルト専用者](1939年 アメリカ)
優雅なスタイルと信頼性の高い静かなエンジン、超寿命を誇るアメリカの名車。
第32代大統領ルーズベルトの専用車で、装甲車並のボディと防弾ガラスを装備している。
(現地説明版より)

仕様
 ホイールベース  3、540mm         
エンジン型式   水冷V12気筒、Lー頭型 
総排気量     7、756c㎥       
最高出力     175hp(129kw)    

参考値
全長   5、795mm
全幅   1、903mm
全高   1、820mm
車両重量 3、457kg 
(現地説明板より)

アメリカが世界に誇れるクルマ
アメリカ人が胸を張って世界に誇れる名車のひとつ、それがパッカードです。
それは優雅なスタイル、信頼性が高く静かなエンジンで、そして長い寿命をほこりました。
パッカードを生み出したのは、電気器具を造る会社を経営していたジェームスパッカードという人です。
1号車の完成は1899年のことでした。
パッカードが名声を獲得するのは1915年にV型12気筒エンジンを積んだツインシックスを発表してからです。
当時は豪華車といえどもせいぜい8気筒までだったので、
量産車として史上初の12気筒エンジンの登場は驚くべきことでした。
そしてそれはアメリカの大統領や、ロシアの行程をはじめ世界各国の王室や元首にも愛用されることになります。
1930年になるとツインシックスは大きな変貌を遂げて2世代目となり、
それはトゥエルヴという名前で販売されます。
展示車は12気筒がのせられた最後の年につくられたものです。
防弾ガラスをはじめ大統領専用の補強をは装甲車並みですが、
軽快なツーリングボディはルーズベルト大統領の笑顔とともに華やかなアメリカの象徴です。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

後ろのバンパーにはSPが乗るステップが左右に付いています

 

54.ドラージュ タイプ D8ー120 (1939年 フランス)

ドラージュ タイプ D8ー120 (1939年 フランス)
ドラージュはレースで活躍したあと高級車をつくようになった。
展示車は当時のフランスで超一流のコーチビルダー(車体架装業者)、フィーゴニ&ファラッシの作品。
(現地説明板より)

仕様
  ホイールベース  3、341mm         
エンジン型式   水冷直列8気筒OHC 
総排気量     4、750c㎥      
最高出力     115hp(85kw)    

参考値
全長   5、256mm
全幅   1、995mm
全高   1、560mm
車両重量 1、805kg 
(現地説明板より)

 55.フォード モデルGPW [ジープ]  (1943年 アメリカ)

フォード モデルGPW [ジープ] (1943年 アメリカ)
軍用偵察や連絡を目的として生まれた小型4輪駆動車。
合理的かつ経済的名構造は実用車本来の姿であり、戦後の車づくりの基本ともなった。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2062mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒、Lー頭型 
総排気量     2、199c㎥        
最高出力     54hp(40kw)       

参考値
全長   3、359mm
全幅   1、6575mm
全高   1、772mm
車両重量 1、070kg 
(現地説明板より)

戦後のクルマづくりの基本
第2次世界大戦直前の1941年に軍用偵察や連絡を目的として生まれた小型4輪駆動”ジープ”は、
戦中戦後を通じてそれまで我々の知らなかった新しい可能性を持つ自動車として、
様々なかたちで人類に貢献しました。
ジープで実用化された4輪駆動の機能は自動車の能力を一気に高めました。
ジープの合理的かつ経済的な構造は純粋な機能美を持っています。
つまりジープこそ、ヘンリー・フォードがモデルTで出した輸送手段としての
自動車の機能を徹底的に追及した本来の姿であり、戦後のクルマづくりの基本にもなっているのです。
戦争が終わるとフォードとともに生産を担当したウイリス・オーバーランド社が
ジープを商品名として登録しました。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 56.タッカー ’48 (1948年 アメリカ)
51台が生産されただけで会社は倒産した

タッカー ’48 (1948年 アメリカ)
安全対策を含む先進的な技術と斬新なデザインで前評判と期待を高めたが、
開発資金難や訴訟問題などでアメリカンドリームは果たせなかった。
51台が生産されただけで会社は倒産した
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  3、235mm         
エンジン型式   水冷水平対向6気筒OHV 
総排気量     5、478c㎥         
最高出力     166hp(124kw)      

参考値
全長   5、487mm
全幅   2、057mm
全高   1、578mm
車両重量 1、527kg 
(現地説明板より)

 57.ポルシェ 365 クーペ (1951年 ドイツ)

ポルシェ 365 クーペ (1951年 ドイツ)
ポルシェ博士の息子、フェリー・ポルシェが中心になって開発した高性能・実用的なスポーツカー。
エンジン、サスペンションなど多くの部品がフオルクスワーゲンのものをベースにしている。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、105mm         
エンジン型式   空冷水平対向4気筒、OHV 
総排気量     3、286c㎥         
最高出力     44hp(32kw)        

参考値
全長   3、985mm
全幅   1、690mm
全高   1、315mm
車両重量  763kg 
(現地説明板より)

 58.ソープボックスダービー車 (1954年 アメリカ) 

ソープボックスダービー車 (1954年 アメリカ)
ソープボックスダービーは、アメリカで子供たちがせっけん箱(工場出荷時の木箱)に車輪を付けて
下り坂を走って遊んでいたのを競技に発展させたものです。
それは子供たちの健全な成長を願う精神が基盤となっており、親子で取り組めるように配慮されています。
展示車は1953年秋から1954年春にかけて10歳の少年ウイリアム。バンベックガ親の助けを借りて作り、
同年から1958年まで地区大会にチャレンジした車両です。
1958年には4回戦まで勝ち進む4位に入賞しました。
当時を代表するデザインと構造のソープボックス車です。
日本では1999年に日本ソープボックスダービ設立に向けて活動ガ始まり、
2001年から毎年春に神奈川県泰野市で日本大会ガ行われ、日本代表を決めてアメリカの国際大会に派遣しています。
(現地説明板より)

 59.フォード サンダーバード (1955年 アメリカ)
V型8気筒、排気量3、917c㎥で二人乗り

フォード サンダーバード (1955年 アメリカ)
シボレーコルベット似たしサンダーバードは同じ二人乗りながらV(エンジンも選べる
スポーティで高級なパーソナルカーとして登場し、新たな市場を開拓した。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、590mm         
エンジン型式   水冷V型8気筒、OHC   
総排気量     3、917c㎥        
最高出力     198hp(148kw)     

参考値
全長   4、435mm
全幅   1、783mm
全高   1、326mm
車両重量 1、457kg 
(現地説明板より)

 60.メルセデスベンツ 300 SL クーペ (1955年 ドイツ)

メルセデスベンツ 300 SL クーペ (1955年 ドイツ)
リッチングカーを市販車化した車で、スペースフレーム構造とスイングドアーを特徴とする。
燃料噴射の初採用車でもある。クーペは軽量スポーツカーを意味するドイツ語に由来する。
 (現地説明板より)

仕様
ホイールベース   2、400mm         
エンジン型式   水冷直列6気筒、OHC 
総排気量     2、996c㎥       
最高出力     215hp(158kw)    

参考値
全長   4、520mm
全幅   1、6790mm
全高   1、300mm
車両重量 1、236kg 
(現地説明板より)

 61.オースチン ヒーレー スプライト (1958年 イギリス)

オースチン ヒーレー スプライト (1958年 イギリス)
「バイク小屋における」くらいの廉価で、オースチン7の高性能版の後継車にふさわしい性能を持つスポーツカーとして誕生。
イギリスでは「カエルの目」、日本では「カニ目」という愛称で親しまれた。
(現地説明板より)

仕様
  ホイールベース   2、030mm         
エンジン型式   水冷直列4気筒、OHV
総排気量     948c㎥       
最高出力     43hp(32kw)    

参考値
全長   3、460mm
全幅   1、349mm
全高     999mm
車両重量  662kg 
(現地説明板より)

 62.キャデラック エラルド ビアリッツ (1959年 アメリカ)

ャデラック エラルド ビアリッツ (1959年 アメリカ)
巨大なテールフィン、多くのクロームメッキ部品、
V8 6、4リッター345馬力エンジン、エアサスペンションなど
豪華さと快適さを極めた1950年代末のアメリカを象徴する車。
(現地説明板より)

仕様
   ホイールベース  3、310mm         
エンジン型式   水冷 V8 気筒、OHV 
総排気量     6、396c㎥     
最高出力     345hp(257kw)  

参考値
全長   5、703mm
全幅   2、038mm
全高   1、435mm
車両重量 2、348kg 
(現地説明板より)

 63.ジャガー Eタイプ (1965年 イギリス)

ジャガー Eタイプ (1965年 イギリス)
美しいスタイル、高性能、割安な価格でアメリカを中心に大成功し、
15年で7万台以上が生産された。
ロングノーズ、ショートデッキは後のスポーツカーに大きな影響を与えた。
(現地説明板より)

仕様
ホイールベース  2、438mm         
エンジン型式   水冷直列6気筒、DOHC 
総排気量     4、235c㎥        
最高出力     265hp(198kw)     

参考値
全長   4、458mm
全幅   1、667mm
全高   1、135mm
車両重量 1、248kg 
(現地説明板より)

現在スポーティな高級車で知られるジャガーはオートバイ用のサイドカー製作でスタートし、
社名はスワロー、SS、ジャガーと変わりました。
第二次世界大戦前の最も有名なモデルがSS時代に発表されたSSジャガー100だと言われています。
戦後のジャガースポーツは”Eタイプ”に代表される洗練されたスタイルで人気を博しています。
トヨタ博物館 「車両解説ガイド」 より)

 

付属品ギャラリー

 

シェル ガソリンポンプ
(イギリス)

レッド クラクン ガソリンスタンド

ルネ ラリック カーマスコット展示室  

                   ルネ・ラリック
 ルネ・ラリック(1860〜1945フランス)は、アール・ヌーボーからアール・デコの時代にパリに活躍し、ジュエリー、ガラス工芸デザイナーとして優れた才能を発揮した作家である。
 20世紀初頭の自動車ガ急速に普及した時代に、いち早くガラスのカーマスコットを手がけた。
 婦人の防止に羽飾りガ必要なように、自動車にはこのようなマスコットが装飾としてなくてはならないもの度と言われていた。
 ここにラリックが量産したと言われている、カーママスコット全種類を展示しました。
                             (現地案内版より)

中編おわり、
後編「日本車」展示から


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シルバーの散歩道・遊歩散策
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