2004.10に閉館した名古屋空港国内線ターミナルにあった航空宇宙館と送迎デッキの紹介です。

No.1

名古屋空港
ビルディング会社

    

名古屋空港国内線ターミナルビルの3Fに開設されていた「航空宇宙館」には実機展示は
戦後マーシャル群島タロア島で発見された「零式艦上戦闘機32型」と「三菱MU−2A」小型多用途機、
川崎ヒューズ式369HS型へり、ジャイロプレーン、VTOL実験機などと日本の名機百選コーナーには
1/25スケールで日本の空で活躍し、日本の航空発展に貢献してきた名機100機が復元されています。
その他宇宙ロケットコーナー、風洞実験コーナー、航空管制システムやフライトシュミレーターでの体験と
航空路灯台、DC8の1号機「FUJI」の主脚などの展示もありました。
これらの懐かしい模様を紹介します。

国内線ターミナル正面玄関前には立派な庭園があります。

搭乗口は2F

2階正面には大きな陶板の壁画が旅行者を迎えてくれます。

お土産店がずらりと並ぶ対面に案内所があります。

搭乗口の奥に航空宇宙館はあります。

両側にはレストラン群がずらりと

3Fへ上がると航空宇宙館入り口と送迎デッキへの出口があります。

早速中へ入りましょう

館内の入り口に実機展示場があり三菱MU−2Aとゼロ戦32型が並んでいます

まず三菱MU−2Aからご案内しましょう

この機は3号機
MU−2Aは3号機までエンジンがチュルボルカ製のアスターズUKターボプロップ・エンジンが搭載されました。

大型燃料タンク
MU−2Aの胴体は円形で、降着装置は三脚の引き込み式、翼端に大型燃料タンクを付けてい。ます

エンジンはフランス製
エンジンはフランスのチュルボメカ製アスターズUKエンジン2基を主翼にパイロンで吊り下げた高翼機。

28:胴体構造(フレームおよびロンジロン)
29:胴体外板
30:アンテナ柱
31:主翼基部フェアリング
32:前縁リレー・パネル
33:胴体/フロント・スパー接合部
34:緊急脱出窓
35:主翼貫通部上面
36:中央燃料タンク
37:第1右燃料タンク
38:燃料移送管
39:ギャレット・エアリサーチ製TPE331−10−501M
   ターボプロップ・エンジン
40:空気取入口
41:プロペラ・スピナー
42:3翅ハーツェル・プロペラ
43:空気式前縁除氷装置
44:前縁リブ
45:第2右燃料タンク
46:翼端補助燃料タンク
48:スポイラー(動作状態)
49:トリム・エルロン部
50:フラップ・トラック・フェアリング
52:内側2段式フラップ
53:中央衝突防止ビーコン
54:スポイラー・アクチュエーター
55:胴体/リア・スパー接合部
56:フラップ・アクチュエーター

主翼の下には観測用窓
捜索、救難に使われている航空自衛隊のMU-2Sは機首に指ぬきの様なかたちをした
ドップラー捜索レーダーが収められています。

低空飛行性能
MU−2Aは低空飛行性能が優れているので、救難ヘリと並んで飛行することができます。

性  能
最大巡航速度:高度4,875mで571km/h
経済巡航速度:高度6,100mで547km/h
実用上昇限度:9,068m            

次は零式艦上戦闘機32型を紹介します。

零戦のいわれ
零戦は零式戦闘機の愛称で、その零式のいわれは第2次世界大戦のころ日本は西洋の列強に対抗するため
西暦の日本版「皇紀」を採用しました。
これは天皇家が始まってからの歴史を年数にして表したものでした。
昭和15年が「紀元2600年」(西暦1940年)にあたり盛大に祝典がありました。
この年に採用された航空機に零式の名称が付けられました。
これより前の皇紀2599年に制定された航空機には九九式、などと付けられました。
しかし、100式や12式と付いた航空機もあります。(これについては後ほど)

零戦のいわれ(つづき-1)
零戦(零式戦闘機)の前は九七式戦闘機(紀元2597年)、九六式艦上爆撃機、(紀元2596年)九九式艦爆(紀元2599年)、
等がありますが、これら式を採用し始めたのは大正中期ころ、国産の航空機が出来るようになり、
軍部からの注文で設計し採用された軍用機に付けられるようになりました。
大正10年には10式艦上雷撃機、大正13年には13式艦上攻撃機、大正15年には15式飛行艇など大正の年号を
付けていたようでした。
これが昭和に入ると紀元年号に合わせて93式などと呼ばれるようになりました。

零戦のいわれ(つづき−2)
しかし、戦雲高まる中、零戦(零式戦闘機)以降は同じ年に軍部から次々といろいろな軍用機が注文され
一式、や二式が付けられた航空機が多数出て混乱しだしたため、天山、月光、雷電、飛竜など称号が付けられるになったようです

プロペラは2翅から3翅へ
試作機12式艦戦は、1939年(昭和14年)3月に完成して4月に初飛行しました。
飛行テスト中に加えられた改良箇所は、2翅のプロペラを住友ハミルトンの3翅恒速プロペラに換装したこと。
この3翅金属製プロペラがその後の全型式の標準装備となりました。
降着装置
会場で長期間運用するゼロ戦は、空母着艦時の激しい衝撃の繰り返しにも耐えるよう、
非常に頑丈な降着装置を備えていました。
主脚柱は長いが郷土は十分で、内側に折り畳まれて、収納室内に平らに収まった。
尻輪も引き込み式です。
降着装置の輪間寸法が大きかったため、地上における走行性能も良く、南太平洋戦線での未整備な
飛行場でもほとんど故障な翅に運用することが出来ました。
潤滑油冷却空気取入口の横に見えるのが
排気多支管からの排気口、
奥には左右の主脚内側扉が見えます
 
零戦の兵装
ゼロ戦が初期において優秀といわれたのは、重量を軽減するために防御を犠牲にしたが
きわめて重い20mm機銃2挺と7.7mm機関銃2挺を装備されていたことである
初戦は圧倒的だった20mm機関砲
この20mm機関砲は、発射速度が遅いという欠点はあったものの、12.7mm以下の機銃しか
備えていなかった連合軍戦闘機に対して、圧倒的な優位が得られました。
しかし、連合軍の圧倒的な馬力のエンジンと防御性能に守られたパイロットに圧倒されるようになりました
7.7mm機関銃関係
88:胴体右側7.7mm機銃
97:7.7mm機銃弾倉
98:7.7mm機銃弾倉積込口
99:機銃銃身
108:7.7mm機銃銃身冷却溝
109:機銃冷却整形覆い
218:7.7mm機銃装填把
20mm機関砲関係
174:右主翼20mm機銃
176:機銃弾倉(翼下から装填9
182:右主翼機銃口
197:主翼内機銃銃身支持環


20mm機関砲の薬莢放出口
主翼の下にある四角い穴は薬莢放出口です。
 

アメリカが保有する世で唯一飛行可能な零戦
ソロモン諸島のベラル島のジャングルで発見された三菱A6M2ですが、エンジンは
中島製「栄」から、現在はプラット&ホイットニー製に置換されて飛行しています。

三菱A6M2零戦21型
カナダ人の専門家がソロモン諸島で回収された2機のゼロ戦のパーツから組み立てられた機です。
機体のマークはEU−102でしたが、日本のエース岩本徹三中尉の撃墜王(撃墜数80機)
にちなんだEU−142に変えられたそうです。

露呈された弱点
開戦半年後に古賀一飛曹が操縦する零戦21型がダッチハーバー空襲中に被害を受け、
無人島に不時着、機体は事実上無傷の状態で米軍の手に落ちました。
これを米軍は飛ばしあらゆるデーターを作成しゼロ戦の弱点、
性能上では右横転が遅く、降下中の加速には多くの時間を要する。
一番致命的な防御性能がほとんどゼロに等しく、燃料タンク防御、飛行士用防御装甲は
「大和魂」任せの状態でした。

 

燃料
零戦21型は、両主翼の付け根に1か所ずつと操縦士の真ん前の胴体に1か所の合計3か所に燃料を備えていました。
太平洋戦争に参加した零戦のほとんどが胴体下に投下式の増槽1個を携帯し、巡航速度で最大航続距離を
3,000kmに、滞空時間を8時間まで延ばしていました。

潤滑油冷却空気取入口の横に見えるのが
排気多支管からの排気口、
奥には左右の主脚内側扉が見えます

続いて奥へ進みましょう

川崎ヒューズ式369HS型ヘリの紹介です。

ジャイロスコープ紹介

 

 

VTOLテスト機

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