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No.2

ウエルカム・ハウス

Welcome House

         

屋内展示館案内

屋内展示場の一部は無料
屋内展示館の内ミュージアム・ショップやカフェレストランなどは自由に利用できますが実機展示場などは有料です。
入場料は大人:千円、高校生・シルバー:700円、小中学生:500円

半券があればその日は出入り自由です。

入館券は入り口近くにある自動券売機で購入します。

入り口右にはミュージアム・ショップがあります。

ミュージアム・ショップ「ぶるうすかい2」には航空フアン
には欲しいグッズがいっぱい!

ミュージアムショップ「ブルーウイングス」
「ブルーウイングス」では、当博物館のオリジナルグッズを初め、さまざまな関連グッズが揃ってます。
 これらを通して、航空宇宙に関する文化情報を幅広くわれわれに伝えてくれます。

入り口左にはカフェレストラン「ブルーウイングス」があります。

カフェレストラン「ぶるぅすかい」
 カフェレストラン「ぶるぅすかい」でリフレッシュして、
ゆっくり館内を見学しましょう。

それでは展示場へ入りましょう

まず「No.1ウエルカムハウス」から見学しましょう。

日本の航空機産業の草分けであり、各務原飛行場で誕生した第一号機サルムソン2A-2型機(復元)が我々を迎えてくれます。

 各務原ゆかりの飛行機について、模型や展示パネルなどで紹介しているほか、各務原で多くの航空機を生み出した、
土井武夫技師の業績を紹介したコーナーも設けられています。

ウエルカムハウスの中央にはサルムソン2A-2型機が飾られています。

このコーナーには大正から昭和初期にかけて陸軍主力戦闘機として各務原の空を飛んだ名機の紹介が

甲式四型戦闘機
ニューポール29C1

Type Ko-4 Fighter(Nieuporl 29C1

本機は乙式一型偵察機についで日本で量産化(654機)
されました。

1933年(昭和8年)頃までの陸軍初期の戦闘機です。

各務原は当時陸軍最大の飛行基地であり、本機は戦闘訓練
を行う飛行第1連隊の主力機でした。

フランスのニューポール社の設計で巡航速度は125km/h
とはいえ当時の世界的に有名な戦闘機で、主翼は檜で作られ
亜麻布の羽布で張られていました。

胴体は木製合板張りの構造でした。

全 幅 9.7m
全 長 6.4m
全 高 2.6m
エンジン 三菱イスパノスイザ
水冷V型6気筒 300HP
主翼面積 26.8u
縦横比 6.5
翼 型 不明
全備重量 1,160kg
翼面荷重 47.0kg/u
最高速度 220km/h
上昇力 4,000mまで13分30秒
航続時間 2時間
構 造 単発、複葉 翼=木製骨組 羽布張り
胴体=木製モノコック構造
メーカー 中島飛行機(現・富士重工梶j
   

 

川西K-12(長距離機)「桜号」
川西K-12

Kawanishi K-12 Trans-Pacific Airplane”Sakura-gou"

 1927年(昭和2年)リンドバークは大西洋横断に成功する。

 この年の8月、全国飛行教会は国産機による太平洋無着陸

 横断飛行を企画しました。

 来たい設計は川西機会製作所で経験豊かな関口英二技師に

 委嘱しました。

 翌年に2期が完成し、各務原で試験飛行が行われました。

 岐阜・犬山・一宮の三角コースでの航続試験結果から川西は

 2号機が7,560kmとびことができると主張しましたが、

 逓信省航空局は、来たい強度と性能計算によって航続性能は

 5,670kmと判断し、計画の中止を命じました。

全 幅 19.1m
全 長 11.6m
全 高 3.4m
エンジン 川崎ベー・エム・ベー6
水冷 V型12気筒 500HP
主翼面積 57.0u
縦横比 6.4
翼 型 ゲッチンゲン No280
全備重量 5.500kg
翼面荷重 96.5kg/u
最高速度 210km/h
上昇力 1,500mまで20分
航続距離 5,500km(メーカー計測7,250km)
構 造 単発、高翼単葉 翼=木製骨組
合板及び羽布張り
胴体=金属製骨組 羽布張り
メーカー 川西機会(現・新明和工業梶j

太平洋無着陸横断飛行を夢見ながら、逓信省に飛行計画が許可されなかった不運の長距離機

 

八八式偵察機 川崎KDA-2

Type88Reconnaissance-plane(KawasakiKDA=)

外国技術習得から技術習得へ、木製機から金属機へ移り変わる過程で日本の航空技術に大きく貢献した機です。

 1925年(大正14年)、利区分が指示した偵察機競争試作に応じて

 川崎造船所は、ドイツ人フォークト博士の指導によって、全金属製骨格

 の画期的な機体を開発しました。

 1927年(昭和2年)、各務原で初飛行がおこなわれ、速度の検定には

 国鉄高山線の直線部分(現在の蘇原駅付近)が利用されました。

 翌年これが制式機に採用されて、1932年(昭和7年)までの間に、

 爆撃機型も含めて1,117機が生産されました。

 八八式シリーズの開発経験によって川崎は、航空機開発の基礎が

 築かれたといわれるようになりました。

全 幅 15.0m
全 長 12.8m
全 高  3.4m
エンジン 川崎ベー・エム・ベー6
水冷 V型12気筒 450HP
主翼面積 48.0u
縦横比  8.0
翼 型 ゲッチンゲン No481
全備重量 2,800kg
翼面荷重 58.6kg/u
馬力荷重  6.33kg/HP
最高速度 220km/h
上昇力 3,000kmまで16分
航続時間 6時間
構 造 単発、複葉 
全金属製骨組 羽布張り
メーカー 川崎造船所(現・川崎重工梶j

日本航空史上最大の巨大機、見る人すべてを驚嘆させた雄大な姿を昭和初期の空に浮かべた長距離爆撃機

九二式重爆撃機
キー20

Type92 Heavy-Bomber(Mitsubishi Ki-20)

 三菱航空機鰍ェ、1928年(昭和3年)、ドイツのユンカース社から、

g−38旅客機を改造したk−51爆撃機の製造権を購入しました。

仲田信四郎技師を中心に一部改良が行われたが、生産に

時間がかかりすぎたことなどから6機で製造が打ち切られました。

あまりの大きさに、三菱の大江工場から陸路運送ができず、

分解して木曽川を引き舟で、各務原、まで運ばれました。

この機の製造を通して、三菱は全金属製の大型機の製造と

新しい生産方式、設計システムなどを習得し、

後々まで三菱の大きな資産となりました 

全 幅 44.0m
全 長 23.2m
全 高  7.0m
エンジン ユンカ−ス式1型
水冷 V型12気筒 500HP
主翼面積 294.0u
縦横比 6.8
翼 型 不明
全備重量 25、480kg
翼面荷重 86.6kg/u
最高速度 200km/h
上昇力 2,000mまで26分30秒
航続距離 2,500km
構 造 4発、中翼単葉 
全金属製骨組
メーカー ユンカース社、三菱重工梶j

 

九五式戦闘機(キー10)

本気は、1935年(昭和10年)三月に初飛行して、

合計580機生産されました。

日中戦争で使用された実戦最後の複葉機であります。

九九式双発軽爆撃機(キー48)

本気は、1939年(昭和14年)に初飛行しました。

実用性が高く、運動性に優れていたため他用途に長期間に渡って、

1,970機も生産されました。

展示模型は、樺太に配備された機体をモデルにしており、寒冷地

で使用されたワッサーカウリングを装備したものです。

国産の高速偵察機として開発され東京ロンドン間で驚異的記録を打ちたて、世界にその名を広めた傑作機

三菱式雁型通信連絡機「神風」
キー15

Mitsubishi Karigane Communication-Plane(Mitsubishi Ki-15)

 1937年(昭和12年)3月25日、各務原における飛行試験の後

 朝日新聞社に引き渡され他「神風号」は、4月6日〜10日、

 東京〜ロンドン間の都市連絡国際記録を樹立し、

 世界の注目を浴びました。

 この機はもともと三菱重工業鰍ナ河野文彦技師を中心に、速度優先の

 設計に徹した陸軍用の遠距離偵察機として開発されたものです。

 この高速性能に着目した朝日新聞社が、特に懇願して試作2号機の

 払い下げを受けたのが「神風号」です。

 外国技術の模倣期を脱し、我が国航空技術が独自の道を歩み始めた

 ことを実証した機体でもあります。

全 幅 12.0m
全 長  8.5m
全 高  3.4m
エンジン 九四式(ハ8)
空冷 星型9気筒 580HP
主翼面積 24.0u
縦横比 7.1
翼 型 不明
全備重量 2、300kg
翼面荷重 95.8kg/u
最高速度 500km/h
上昇力 5,000mまで8分27秒
航続距離 2,400km
構 造 単発、低翼単葉 超ジュラルミン製
セミ・モノコック構造
メーカー 三菱重工

 

 

三菱双発輸送機「ニッポン号」

 

 1939年(昭和14年)7月7日、各務原から東京へ空輸された

 「ニッポン号」は、訓練試験飛行を経て、8月26日〜10月20日

 にかけて5大陸と太平洋、大西洋の2大洋、20ケ国を翔破し、

 世界一周神前飛行に成功しました。

 この機は三菱重工業鰍ナ本庄季郎技師を中心に開発された

 海軍の96式中型陸上攻撃機が原型で、毎日新聞社が企画した

 世界一周飛行を実現するため長距離気用に改造されたものです。

 日本の航空技術の優秀性を世界に示すとともに、

 この機の信頼性が高いことも実証されました。

全 幅 25.0m
全 長 16.5m
全 高  4.5m
エンジン 三菱「金星」 空冷複列星型
14気筒 900HP
主翼面積 75.0u
縦横比  7.1
翼 型 ブラックバーン社 B-9
全備重量 9,200kg
翼面荷重 122.6kg/u
最高速度 340km/h
上昇力 3,000mまで8分49秒
航続距離 3,500km
構 造 双発、中翼単葉 超ジュラルミン製
セミ・モノコック構造
メーカー 三菱重工業

   

 

海軍中型攻撃機として独自の技術で開発、国産初の世界一周飛行を成し遂げ、航空技術の自立を確かなものとした名機

零式艦上戦闘機「零戦」 62-18
(A6M1〜8)

Type Zero Carrier-based Fighter"Zero-sen”
(Mitsubihi A6M1〜8)

 第二次大戦中の最優秀機の一つで「ある「零戦」。

 その原型機は、各務原で初飛行に成功しました。

 1939年(昭和14年)4月1日午後5時30分のことでした。

 高性能と格闘性能さらには長大な航続力を合わせ持つ本機は

 三菱重工鰍フ堀越二郎技師を中心として開発されました。

 超超ジュラルミンの採用や数グラムの無駄まで省いた極限の

 軽量化などで要求された性能を満たしました。

 各務原での飛行試験は4ケ月半、総飛行回数は119回、

 総飛行時間43時間26分でした。

 終戦までに各種改良型を含め合計1万430機が生産されました。

全 幅 12.0m
全 長 8.8m
全 高 3.5m
エンジン 「  」十三型 空冷
 列星型14気筒 785HP
主翼面積 22.4u
縦横比 6.4
翼 型 三菱118型
全備重量 2,343kg
翼面荷重 104kg/u
馬力荷重
最高速度 275km/h
上昇力 5,000mまで7分15秒
航続距離
構 造 単発、低翼単葉 
セミ・モノコック構造
メーカー 三菱重工

ゼロ戦についての詳細は「零戦、米国の空に舞う」をご覧下さい。
「零戦、米国の空に舞う」へ

運動性、航続力、戦闘力、すべてにおて世界トップレベルに迫る、日本航空技術史上艦上戦闘機の傑作

高速、運動性能を追求した陸軍主力戦闘機、日本では数少ない水冷エンジンを装備し「飛燕」の名にふさわしい姿の戦闘機

三式戦闘機 「飛燕」 キー61 41-69

Type 3 Fighter ”Hien”
(Kawasaki Ki-61)

 1943年(昭和18年)に採用された陸軍最終時期の主力戦闘機。

 スピードと武装重視の重戦闘機と格闘性重視の軽戦闘機の

 利点を兼ね備えていました。

 川崎航空機工業鰍フ土井武夫技師の設計で、各務原で最も

 大量に生産されました。

 ピーク時には月産約200機に達し、同系の五式戦闘機を含めて

 3,285機が作られました。

 水冷エンジンの装備で胴体断面積を小さくし、時速610kmの

 高速を記録しました。

 主翼の形を細くして、上昇性と運動性の向上を図っていました。 

全 幅 12.0m
全 長   8.9m
全 高   3.7m
エンジン ハー42式
水冷倒立V型 12気筒 1,100HP
主翼面積 20.0u
縦横比  7.2
翼 型 2R162400G
全備重量 3,130kg
翼面荷重 185.5kg/u
馬力荷重  2.8kg/HP
最高速度 581km/h
上昇力 5,000mまで5分30秒
航続距離 600km
構 造 単発、低翼単葉 ジュラルミン製
セミ・モノコック構造
メーカー 川崎航空機(現・川崎重工梶j

Kawasaki Ki-61

当時、優れた性能を誇ったヨーロッパ製航空機は、
軒並み12気筒エンジンを搭載していました。
これに触発された川崎は、早速新型ハ40V型12気筒エンジンを搭載した機体の設計案を日本陸軍に提案しました。
1941年12月(真珠湾攻撃の週)、キ-61の試作初号機
は、各務原で初飛行をしました。
1942年8月には量産機31機が陸軍に納入されました。
これが三式戦闘機「飛燕」一型(キー61)です。

キー100ー星型エンジン搭載機

陸軍は、川崎に対してキー61U改に、1,500馬力の三菱型14気筒星型エンジン(ハー112-U)の搭載を指示し、川崎はこれを12週間で完成させました。
この結果、重量が大幅に軽減され、性能が格段に向上し、当時日本上空に飛来していた米海軍のグラマンF6Fヘルキャットと互角に戦うことができました。
この機も360機程度が生産されましたが、量産指示が出た頃には組立工場が連合軍機の空襲で壊滅されました。

ニューギニア上空でキー61を初めて目にした米軍パイロットは、
メッサーシュミットBf109と間違えたと伝えられています。

 

各務原で最初に量産された飛行機
乙式一型偵察機「サルムソン2A−2」

Otsu-1 Reconnalssance-plane(Salmson2A-2)

緒 元/全   幅 :11.8m      全備重量 :1,500kg
      全   長 : 8.8m      翼面荷重 : 40.2kg/u
      全   高 : 3.1m      馬力荷重 : 8.52kg/HP
      エンジン  : 川崎サルムソンAZ-9 性 能/最高速度 :156km/h
              水冷 星型 9気筒 230HP      上 昇 力   :3,000mまで11分42秒
      翼 面 積  : 37.3m      航続時間 :3.5時間
      縦横比   :  7.0 構 造/単発 複葉 木製骨組/羽布張り
      翼   型 : メーカー/(仏)サルムソン/川崎航空機(現・川崎重工業)
各務原飛行場で初飛行した飛行機
Airplanes which made thler flight at Kakamigahara
昭和の初期まで各務原飛行場は、わが国最大の飛行場でありました。
川崎航空機(現・川崎重工業)のほか三菱航空機(現・三菱重工業)の工場もあったことから、
多くの川崎機、三菱機が初飛行しています。
長い滑走路を活用して初期の川西航空機(現・新明和航空機)、愛知航空機(現・愛知機械工業)などの飛行機も飛んでいます。
複葉機の時代からジェット機の時代まで、各務原はわが国航空技術開発の中心であり続けています。

土井武夫技師の飛行機開発

History of engineer Takeo Doi's Airplane Development

 土井技師は、1927年(昭和2年)川崎造船所に入社後、
終戦までの19年間に多くの飛行機設計に携わりました。

 正面にある飛行機試作状況(工程表)は、土井技師193年から1945年にかけて取り組んだ仕事ぶりをしめすものです。

 横に惹かれた太線は、1機の飛行機の設計、試作、飛行試験の工程を示しています。

 この工程表から、土井技師がわずか8年間に、改造機種を含めると22機種にのぼる飛行機を開発、設計していたことが分かります。

 なかでも九二式戦闘機、九五式戦闘機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機「  」、三式戦闘機「飛燕」は傑作機として数多く生産されました

次はテーマハウスへ移動します

かかみがはら航空宇宙博物館・テーマハウス
ジョージ・ケイルの模型飛行機、リリエンタール兄弟のグライダー、ライト兄弟のプロペラ機、ポール・コルニュのヘリコプター、
エルンスト・ハイケルのターボジェット、日本最初の動力飛行「日野飯蔵」、国産第1号の飛行船(山田猪三郎)と飛行機(日野飯蔵)
世界記録を作った飛行機「航研機」、アリソン社製液冷V型12気筒エンジン、OH-6J連絡輸送ヘリコプター、ハンズ・クラーデの単葉機、
プラット・アンド・ホイット社空冷星型9気筒レシプロ・エンジン「R-1340-AN-1」、石川島播磨重工「J3ターボジェット・エンジン」、
石川島播磨重工「T64ターボジェット・エンジン」、石川島播磨重工「T58ターボジエット・エンジン」などが展示されています。

テーマハウス

Theme House

飛行機・ロケットや宇宙船などの原理や仕組みを、様々な実験装置や紙飛行機の設計なども体験しながら、
わかりやすく理解していただく科学館です。

入り口のウエルカムハウスから実機展示場を横に見ながら2階へ上がります。

飛行機・ロケットなどの原理や仕組みを、様々な実験装置や紙飛行機の設計なども体験しながら、
分かりやすく理解するための科学館です。

「飛鳥」をはじめ大小の実機を見下ろしながら2階のテーマハウスへ向かいます。

航空力学への満ちを拓く
イギリスの科学者、発明家 1773〜1857

1849年 ジョージ・ケイレーと模型飛行機

George Cayley and His Model

初期の有人気球が、ようやく飛べるようになった1783年頃、

ケイレーは飛行船・グライダー・飛行機について、考察を深め

実験を繰り返していました。

そして翼に作用する空気力は、揚力と抗力にわけられりこと、

空気抵抗に打ち勝って飛行機を前進させるには、推進力

(エンジン)が必要なこと等に着目して論文や図面を作りました。

これが後世の研究家達の貴重な参考資料となりました。

1799年に、固定翼グライダーの図および翼型におよぼす揚力、

抗力・推力の力学的な関係を表した図を考えました。

また、1849年には三葉グライダーを造って、使用人を乗せて

斜面を人力で引っ張り、数百mの滑空をしたと伝えられています。

ケイレーの三葉グライダー

諸 元 / 全   幅: 4.6m
       全   長: 6.2m
       全   高: 2.7m
       主翼面積:31.4u
       全備重量:59.0kg
       航続距離: 3〜4m

世界最初のグライダー開拓者 ドイツのグライダー先駆者、航空工学者
兄 Otto Lilienthal(1848〜1896) 弟 Gustay Lilienthal(1849〜1933)

1891年 リリエンタール兄弟とグライダー

Lilienthal Brothers and Their Gliders

ドイツ人土木技師「飛行術の基礎としての鳥の飛翔」を発行
1889年に、リリエンタール兄弟は、これまでの25年におよぶグライダーの研究をまとめて出版した書には航空額の
独創的な研究や考察がまとめられていました。この本だけでもかれらの功績は大きいと言われました。

1891年からは、翼幅と翼面積と機体重量とを系統的に組み合わせて、単翼5機、複翼3機のグライダーを造りました。
兄弟は6年間に2,000回以上の滑空実験により、翼の揚力・風圧中心・機の安定性などの研究のために貴重なデーターを残しました。

兄リリエンタールは1896年にシュテレンに近いリノヴェル山から滑空中に突風に合って墜落し、翌日息を引き取りました。
弟はその後羽ばたき機に転向したが成功しませんでした。

緒元/全  幅  上翼 : 6.0m     構造/一部竹製骨組
           下翼 : 7.0m          綿布張り
     全  長  5.2m
     全  高  3.0m

リリエンタールの事故死によって、パイロットの体重移動の横
(ロール)操縦だけでは限界があることが証明されました。

1903年12月17日 世界最初の動力有人飛行に成功。
ライト兄弟(兄WilburWright1867〜1912、弟OrvilleWright1871〜1948)アメリカ

1903年 ライト兄弟とプロペラ機

Wright Brothers and Their Propliar plane

1800年代後半には、ガソリンエンジン・グライダーの実験化が進みました。
これらを組み合わせた飛行機の成功は、いよいよ目の前に迫りました。
ライト兄弟の場合は、まず欧米の学者が発表した航空機の研究所をよく読みました。
各種の実験装置を作って理論の裏づけをしました。
次に1903年から3機のグライダーを1,000回以上も飛ばして飛行理論と操縦法を身に付けました。
そして最後に飛行機製作に取りかかったのです。

1903年の冬、アメリカ東部の北カロライナ州の海岸で「フライヤー号」複葉機(12馬力)は飛びました。
この日4回の飛行での最良記録は、滞空時間59秒、距離260mでした。

ライド機の操縦法
ライト兄弟のグライダーと動力航空機は、機体の運動を可能にする撓み(たわみ)翼を採用していました
これは主翼の一部を、一連のケーブルによって捩る(ねじる)というものです。

ミシン技術者だった兄弟はミシンの技術を生かし、
手作りの実験装置やエンジンを作りました。

1903年の偉業の後
ライト兄弟は原型の「フライヤーズ」号を発展させて、一連の航空機を製造しました。
上の写真は彼らが建てたキティーホクの小屋で、二人はここに寝泊りして作業を行いました。

実験用風洞装置。
兄弟はこれで200種類もの
翼の模型をテストしました

ほとんどの部分が兄弟の手作りによるエンジン

ライト兄弟のフライヤー機については
新千歳空港の「ちとせ・大空の夢アミュージアム」のページにも記事があります。
「ちとせ・大空の夢アミュージアム」へ”飛ぶ”

エンジンからチエーンで二つのプロペラへ動力を伝え
操縦者はエンジンの横で身を伏せて操縦しました。

飛び立つまでは台車の上に載せ助手がバランスを取りながら
レールの上を走らせ飛び立ちました。

緒元/全  幅  12.3m     
     全  長   6.4m
     全  高   2.5m
     エンジン  水冷直列4気筒12HP
            水平置き
    主翼面積  47.4u
全備重量 340.7kg

 

 

世界最初のヘリコプターの飛行に成功。

1936年 ポール・コルニュのヘリコプター

Paul Cornu 生没年不詳 フランス

ヘリコプターの歴史は飛行機よりむしろ古いが、構造が複雑であるために飛行機の急速な進歩に比べ、ヘリコプターの実用化は約40年遅れました。


 1907年11月フランスのコルニュは20秒間、高度2m以下の垂直昇降だけであったが、人間を乗せて初めての飛行に成功しました。

 この空飛ぶ自転車号は、前後に大きなうちわのような回転翼をつけ、車輪をベルと掛けで反対方向に回し、
トルクを打ち消し、前後のはねで気流の流れを変えて、前進や方向転換をするつもりであった。

 1923年スペインのペスカラや、1936年フランスのポレゲーが優秀な
操縦機構を有する同軸反転式のヘリコプターを開発、1937年ドイツの 
フォッケはFa61型並列ローター式で初の自動回転着陸に成功しました。

 1939年ロシアからアメリカへ帰化したシコルスキーはシコルスキーVS-300A
を製作、前後左右の運動が自由に空中停止ができる最初の実用的な
ヘリコプターで、現在のヘリコプターの原型にりました。

1936年、フランスのプレゲーとドーランが作った同軸反転
ローター式ヘリコプター。
飛行距離44km、時速100kmで実用的に近い。

 

1939年8月27日 世界最初のターボジェット機の飛行に成功しました。

1939年 エルンスト・ハインケルのターボジエット

Ernest Heinkel(1888〜1958) and his Turbojet Plane

特許ではイギリスが5年早い
ドイツ・ハインケル社のオハインは、全く独自にターボジェットエンジンを考え、1935年にドイツ特許を取りました。
それより以前、1930年にイギリス空軍のホイットルは、航空用ターボジェットエンジンのイギリス特許を取りました。

しかしイギリスでは開発が遅れて、1936年に初めてW.1型の研究が始まりました。
航空省がこれを搭載するグロスター実験機を発注したのは1939年、初飛行したのは1941年5月になりました。

3.77KNの推力を持つガスタービン・エンジンを搭載
一方、ドイツのハインケルは、1936年に自社開発を決定し、
HeS.1型と2型を製作しました。
これをハインケルHe178実験機に搭載して極秘の内に初飛行させました。
これに平行して開発した有人ロケットHe176型実験機も、
1939年6月20日に世界最初の成功を収めています。

緒元/全  幅   7.2m     
     全  長   7.5m
     全  高   2.1m
     エンジン  

    主翼面積   9.1u
     全備重量 1,980kg
     翼綿荷重  210kg/u
     馬力荷重  4.5kg/kg

性能/最高速度 700km/h

 

日本で最初の動力飛行機

The First Propeller plane in Japan

1910年(明治43年)に、徳川好敏はフランスで飛行術を習ったうえ、
アンリ・ファルマン複葉機を購入して帰国しました。
同年12月19日に東京・代々木練兵場で、硬式飛行に成功しました。
記録は飛行高度70m、距離3,000m、飛行時間3分でした。

日野飯蔵はドイツで飛行術を習い、ハンス・グラーデ単葉機を購入
して帰国しました。
公式飛行に先立って12月14・15・16日に非公式に飛行しました。
徳川と同じ19日の公式飛行では、飛行高度20m、距離1,000m
飛行時間1分20秒を記録しました。

 

国産第一号の飛行船と飛行機

The First Japanese Airship and Airplane

山田猪三郎は、1910年(明治43年)に、独力で山田式一号飛行船を
製作し、これを、東京の大崎から駒場まで飛ばしました。
これが最初の国産有人飛行船で、徳川・日野両氏の動力飛行より
3ケ月早かった。
このあと、山田は3号飛行船で、20kmの飛行を成功させました。

同じ頃、奈良原三次男爵も、自費で複葉機を製作しましたが、1号機は
飛ばず、2号機が1911年(明治44年)に初飛行に成功しました。
これが最初の国産民間機でした。
奈良原はこのあとも改良に努め、1913年(大正2年)の4号機
「鳳」号に至って実用の域に達し、7分間10kmの周回飛行を実現
しました。
次いで5号機は日本全国を巡業ひこうし、これが刺激となって
多くの民間飛行士と飛行学校が生まれました。

 

1910年 日野熊蔵

 
 

 

1944年 世界記録をつくった飛行機

The Airplanes that Established Worid Records

航空研究所長距離機は、東大研究所が設計し、東京瓦斯電気工業が製作した長距離機で、1938年(昭和13年)5月に藤田雄蔵ら3人が乗って、関東平野のコースを29週しました。

1万1,651.01km(62時間22分49秒)の記録は、FAI(国際航空連盟)〜公認されました。
立川A-26長距離機は、もともと朝日新聞社が、東京〜ニューヨーク間の亜成層圏無着陸親睦飛行を目的とした長距離機で、東大航空研究所で研究し、立川飛行機で製作しました。

1944年(昭和19年)7月に、小俣寿雄ら6人が乗り、満州平野(中国東北地方)のコースを19周しました。
1万6,435km(57時間12分)の記録は、第二次世界大戦下のため、FAIの公認とはなりませんでした。

 

プロペラのやくわり

Function of Propelers

プロペラのブレード(羽根)の断面は、主翼の翼型と同じと考えてよい。
プロペラがエンジンの力で回りだすと、ブレードの後面よりも前面の方が、空気の流れが速くなる。

従って、ブレードの後面の圧力は高く、前面の圧力は低くなる。
そのため、ブレードの前面に揚力などの空気力が生じます。この空気力の前進方向の部分がプロペラの推進力となります。

人力飛行機 可変ピッチプロペラ

FA-200用マッコーレ油圧定速プロペラ

可変ピッチプロペラ
飛行条件によって、ピッチを任意に変えられる装置を持つ。
ピッチ変換の型として、定速型、フェザリング型、リバーシング型があります。

定速型
エンジン出力が変化しても、プロペラに付属したガバナー(調速機)が働いて、プロペラの回転を設定した一定値に保つ

フエザリング型
エンジンが故障したとき、プロペラが風車で回転しないようピッチを気流に向けられるプロペラ

リバーシング型
着陸滑走中、期待を早くとめるため、プロペラピッチを逆方向にし、プロペラ空気の流れを前方に押し返すことのできるプロペラ

校式一型試作偵察機 ホ式150HP レ型プロペラ

固定ピッチプロペラ
プロペラブレードのピッチ(角度)は、固定しているもの。

 

V型エンジン

V-Type Engine

形   式 : 液冷V型12気筒レシプロエンジン
公転速度 : 3,000rpm
行程容量 : 28,027g
圧 縮 比 :  6.65:1
緒元/重 量:  613kg
    全長:  2,400mm
    全幅:  800mm
    全高:  930mm
搭載航空機:  P-40戦闘機、P-51戦闘機、P-38戦闘機
メーカー     :  アリソン社公称馬力:1,425HP
   

 

OH-6J 連絡観測ヘリコプター

KAWASAKI-Hughes OH-6J Obseration Helicopter

原型モデルヒューズOH-6カイユース(Cayuse)
米陸軍の軽量観測ヘリコプター(LOH)として開発され、特徴的な
卵型の胴体を持つOH-6Jは”ローチ”と呼ばれ、ベトナム戦争では
米陸軍の主力偵察ヘリコプターとして活躍しました。
カイユースは1970年に生産を打ち切られましたが、1980年代に
派生型のモデル500デフェインダーが米特殊部隊で使用されました。

緒   元/胴 体 長 :2.6m
       全    長 :9.2m
       全    高 :2.7m
       ローター径 :8.0m
       エンジン   :CT63-M-SA
                ターボシャフトエンジン278HP
       全ブレード面積:2.75u
       翼   型   :NACA0015
       全備重量   :1,160kg
       円板荷重   :23.0kg
       馬力荷重   :4.16kg/HP
性  能/最高速度    :243km/h
       搭載重量   :620kg
       航続距離   :515km

アメリカ陸軍の軽観測ヘリコプター計画(1960〜1965)によって
開発された機体。
新形式のハブや軽量の胴体構造などで、538kgと驚異的な
軽量化が図られています。
空気抵抗の少ない水滴型の期待形状とあいまって優れた
飛行性能を示し、その後の小型ヘリコプターに技術的に
大きな影響を与えました。

川崎重工業鰍ヘ1961年(昭和43年)から1995年(平成7年)までに、
同系機を含めて373機ライセンス生産をしています。

構  造/アルミ合金製セミモノコック構造
       水滴型
       全関節型ローター
メーカー/川崎重工潟宴Cセンス生産

半関節式4翅ローター
この型は、運動性・高速性および燃料経済性につながる低抵抗に主眼を置き、
当時としては異色の半関節式4翅ローターを採用していました。
各ローター・ブレードは、従来方式のようにフラッピング/フェザリングに自由度を待たせたヒンジを介してバブに連結するのではなく
合計15本のステンレス製ストラップで向かい側の対となるブレード同士で結ばれていました。
この方式によって機構が大幅に簡素化され、ローターの4翅化で維持費用も抑えることができました。
また、ローターの回転面の小径化によって、操縦への反応や低振動、高速性が向上しました。

テール
カイユースとデフェンダーはテールの形が大きく異なります。
デフェンダーはT字形をしています。

 

低抵抗
低抵抗型へのこだわりは、胴体設計で顕著に見受けられ、
前面から見た断面積は、前席の搭乗員2名にぴったり
合わせられ、パワープラントとトランスミッションは
その中に完全におさめられています。

OH−6J観測へりの操縦体験コーナー

各務原航空宇宙ミュージアム・ウエルカムハウス
各務原で生まれた甲式四型戦闘機、川西k-12「桜号」、八八式偵察機「川西KDA-2」、九二式重爆撃機「キ-20」、
三菱式雁型通信連絡機「神風」キー15、三菱双発輸送機「ニッポン号」、零式艦上戦闘機「A6M1〜8」、
三式戦闘機「飛燕」キー61等のコーナーがあります。

体験は無料
実機へりの操縦席に乗り込んで指導員の説明通りに操縦すると、目の前の模型ヘリが
離陸して舞い上がります。

実機に乗込み操縦すると、前のかごの中の模型のヘリが連動して飛び立ちます。

スロットルレバー
前席の中央にあるスロットル・レバーの先端の裏側にある
ボタンを押すとローターが回転を始める。
グリップを回転させるとローターの回転が上がり上昇します。

ペダル
左ペダルを踏むと左へ向きを変える
操縦桿
操縦桿を前に倒すと前進する。手前へ引くと、後ろへ下がります。

   

無料
模擬コントロールで目の前のヘリコプターが操作に合わせて動きます。

   
   

2階フロアーから見た実機展示場

飛鳥が大きな機体を横たえています

 

川崎重工業が自慢のヘリがイッパイ

天井にはグライダーが

 

富士重工式 FA-200-180型軽飛行機

FUJI Aero Subaru

298機も生産された人気軽飛行機
富士重工業が1963年(昭和38年)に設計をはじめた、
1965年(昭和40年)に初飛行した4人乗りの軽飛行機で、
旅行、スポーツそれに曲芸飛行(6G)もできる万能型でした。

機体は主翼と水平尾翼の平面形を矩形にして同一断面にしたり、
機体構造の部材を装備品取付に利用するなどによりコストダウン
が図られました。
この機体は180馬力のエンジンと可変ピッチプロペラを取り付けた
モデルです。
FA-200シリーズは1980年(昭和55年)までに298機が生産されました

緒   元/ 全     幅 : 9.4m
       全    長 : 8.0m
       全    高 : 2.6m
       エンジン   :ライカミングIO-360-B1B
                空冷式水平対向型4気筒180HP
       主翼面積  : 14.0
       縦横比    :6.3
       翼  型   :U−615M
        全備重量  :1.150kg
        翼面荷重  :82.1kgu
        馬力荷重  :6.4kg/HP
性  能 / 最高速度  :230km/h
        上昇率    :232m/分
        航続距離  :999km
構  造 / アルミ合金製セミ・モノコック構造
メーカー / 富士重工業
   
 

 

風洞実験装置

最大風速  :15m/sec(54km/h)

測定部断面:50cm×50cm

モーター出力: 3.7kw

風洞のしくみ
Construction of the Wind Tunnel

風洞は飛行機などに働く、揚力や抵抗を測るための
試験装置です。
風洞では測定部の空気流の速度が均一で、
乱れを少なくすることが重要となります。
この風洞は効率が良く、広く使用されており、回流式風洞
(ゲッチンゲン型)です。
送風ファンで風を発生し、整流筒に取り付けた金網で流れを
均一にして、縮流筒で流速を上げ測定部に送ります。
測定部に、計測用の模型と測定装置を入れて試験します。

   

 

ジェットエンジンの開発

Development of the Turbofan Engine

試験用ジェットエンジンを下げた試験機
飛行機の心臓ともいえるじぇっとえんじんは、高い性能が要求されます。
燃料消費が少なく、空気を汚さず、音が小さいなど経済性や環境に対する要求も年々高まっています。
このような複雑な要求や開発期間の短縮に、コンピューターによる事前の設計が重要となっています。
試作されたエンジンも、実際の航空機に搭載されるまでには、さまざまなテストが繰り返されます。
各務原では、試験母機によるエンジン空中試験が、航空自衛隊飛行開発実験団によって数多く実施されています。

ガスタービンエンジン

ターボファンエンジン

ターボプロップエンジン

ターボシャフトエンジン

 

星型エンジン
Radial Engine

 R-1340-AN-1
形      式 :空冷星型9気筒レシプロエンジン
公 称 馬 力 :600HP
回 転 速 度 :2,700rpm
行 程 容 量 :21.902g
圧 縮 比    :6.80:1

重     量 :392kg
全     長 :1,320mm
全     幅 :1420mm
全     高 :1,200mm
搭載航空機 :T−6練習機
メーカー    :ブラット・アンド・ホイット社

   

2フロアーから見た実機展示場

ここから1Fへ階段を降ります。

J3ターボジェットエンジン

J3 Turbojet Engine

戦後初の国産ターボジェットエンジン
1955年(昭和30年)に国産中等練習機に搭載するエンジンとして
開発に着手されました。
試作段階では、数々のトラブルにみまわれましたが、順次改良され
信頼性も高くなりました。
1958年(昭和33年)には、岐阜飛行場をベースに航空自衛隊
航空実験隊(現飛行開発実験団)の手によってエンジン空中試験が
行われました。
これらのエンジン開発の経験は後の垂直離着陸用エンジンJR100
の開発などに活かされました。

形   式 :ターボジェットエンジン
推   力 :1,400kg
圧 縮 機 :軸流 8段
圧 縮 比 :4.5:1
タービン  :軸流 1段

重   量 :382kg
全   長 :1,994mm
全   幅 : 770mm
全   高 : 871mm
搭載航空機:T−1B P−2J
メーカー  :石川島播磨重工業

   

 

T64ターボプロップエンジン

T64 Turboprop Engine

原型はアメリカGE社が1955年(昭和30年)から開発に着手した
小型軽量、低燃費の高性能軸流ターボプロップエンジン
このエンジンはGE社で開発され十分使い込まれることなく
日本で生産に入りました。

このため、P2J搭載時の振動やPS1搭載時の軸受け破損
などの不具合を生じましたが、そのつど改良に取り組み問題点が
解決されていきました。
本エンジンにフアンを取り付けたTF1002試作エンジンの経験を
経て、わが国初めてのファンジェットエンジンFJR710が
開発されました。

形   式 :ターボジェットエンジン
推   力 :3,060ESHP
圧 縮 機 :軸流 14段
圧 縮 比 :12.5:1
タービン  :軸流 (高圧)2段
            (低圧)2段

重   量 :544kg
全   長 :2,870mm
全   幅 : 540mm
全   高 :1,165mm
搭載航空機:P−2J、PS−1/US-1
メーカー  :石川島播磨重工業梶iライセンス生産)

 

 

T58ターボシャフトエンジン

T58 Turboshaft Engine

 原型はアメリカDE社が米海軍のヘリコプター用に開発した
もので1960年(昭和35年)に技術提携が締結されました。
 小型で大馬力を出すため、当時最高の加工技術が大幅に
採用されていたが、提携先からの技術資料はごく
一部しか入手できなかった。

 このため国産化にあたっては工作機械の開発など独自の
工夫が凝らされました。
 この経験は、その後の国産化されたT64エンジンなどの
加工技術の礎となりました。

形   式 :ターボジェットエンジン
推   力 :1,500ESHP
圧 縮 機 :軸流 10段
圧 縮 比 :
タービン  :軸流 (高圧)1段
            (低圧)2段

重   量 : 152kg
全   長 :1,550mm
全   幅 :  140mm
全   高 :  501mm
搭載航空機:1.KV-107、S-62ヘリコプターなど
          多くのヘリコプターに使用
        2.PS-1/US-1機の制御装置の駆動用動力
メーカー  :GE社製、石川島播磨重工業梶iライセンス生産)

 
   

 

XF3-30 ターボファンエンジン

 

このエンジンは、航空自衛隊のT−4中等練習機用に開発された
F3エンジンの試作機です。
本エンジンの空中運転試験も、1962年(昭和37年)から
各務原で行われました。

諸  元 /製造会社  :石川島播磨重工(国内開発)
       推   力  :1,670kg
       圧 縮 機   : 軸流5段
       タービン段数: 低圧1段、高圧1段
       バイパス比 : 0.9
       全   長  : 約2m
       直   径  : 56cm
       重   量  :340kg

   

 

T-4の設計から製作まで

From Design to Production-Mediu

  設計作業は、防衛庁技術研究本部指導のもとで、まず機体の
 形状やエンジン、構造、装備品などの基本を定め、その方針に
 もとづいて川崎重工業を中心とする国内航空機メーカーが、
 詳細な設計・開発試験を行いました。

  これと並行して多くの風洞試験や飛行シュミレーターによる操縦
 性能、構造の安全を確認する構造試験などが行われました。

  4機の試作機は、技術研究本部および、航空自衛隊航空実験団 によって詳細にテストされ、その結果、川崎重工業で量産に入りま した。

  この模型はT−4の低速時の飛行の様子を調べるために作られ たものです。
  この模型を風洞の中に取り付け、時速約200kっ間での風を吹か
 せてさまざまなデーターを取ります。
  たとえば模型の姿勢を変えて、その時に発生する揚力や
 抵抗等を計ります。
  この他、模型の昇降舵や補助翼などの角度を変えて舵の機器
 を調べたり、脚の出し入れによる抵抗の変化などを計ります。
  これらのデータは、T-4の飛行性能を推測したり、飛行シュミレ
 ータによるテストパイロットの飛行確認に役立てられます。
   

 

紙ひこうき教室

   

 

宇宙教室

ここから実機展示場へ出ます。