零戦。米国の空に舞う

 米国ロサンゼルス郊外で、12月4日、に今から58年前の1941年12月8日の日米開戦を記念して「航空博物館」が行事を行いました。

 この中で旧日本軍海の「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」の飛行機ショーを開催しました。
 世界に十数機しか残っていないゼロ戦の中で、飛行可能なのは2機だけ。
 しかもオリジナルのエンジンを備えているのは、この日に飛行したゼロ戦だけとあって、約500人の見物人が詰めかけました。
 機体は1944年にサイパン島で発見された物で、当時とほぼそっくりに復元されました。

 ロサンゼルス郊外の「チノ飛行場」の周囲を約15分かけて何度も旋回しました。
 「とても軽くて操縦しやすい。機会があれば日本でも操縦したい」とパイロットのスティーブ・ヒントンさん(47)は語たそうです。
 大分市から見物に来た会社員(53)は「生のエンジンの音を聞く事が出来て感激しましたが、多くの犠牲者のことを思うと、平和の大切さを改めて感じました。」とこのとでした。

 飛行機ショーに先立ち、真珠湾攻撃の際、兵隊として戦艦にいたアーウィン・ケネディさん(77)が講演し「最初に零戦を見たときは親善のための飛行だと思ったが、戦艦に攻撃してきたので夢中で反撃した」と当時の様子を語ったそうです。
(1999.12.6記)

 この写真を見て私設航空機評論家、横山氏は「機銃の状態がよく見えないので残念ですが、ゼロ戦の52型(大戦後半期の量産型)と思われます」とコメントしてくれました。
 なお写真の状態が悪く残念です。当方の腕、機器のせいではありませんので念のため。((1999.12.6.pm記)

三菱A6M2零戦21型
カナダ人の専門家がソロモン諸島で回収された2機のゼロ戦のパーツから組み立てられた機です。
機体のマークはEU-102でしたが、日本のエース岩本徹三中尉の撃墜王(撃墜数80機)
にちなんだEU-142に変えられたそうです。

世界で唯一飛行可能な零戦
ソロモン諸島のベラル島のジャングルで発見された三菱A6M2ですが、エンジンは
中島製”栄”から、現在はプラット&ホイットニー製に置換されて飛行しています。

CAF(南部同盟空軍)
第二次世界大戦で使用された軍用機を保存する団体は、当時のB29やゼロ戦を実際に飛ばし模擬空中戦を再現
して当時をしのんでいます。
写真はすでに白い煙を吐いて撃墜されたゼロ戦です。

第二次世界大戦の初戦では覇者
優れた運動性能と驚異的な航続距離を誇る零戦は、第二次世界大戦における航空戦初期の覇者でした。
しかし、1943年以降、連合軍側に高性能の戦闘機が出現し始めると、その威光は急速に薄れました。

旋回性能ではグラマンF6Fも敵でなし
零戦はその旋回性能は初期の連合軍を代表する
戦闘機グラマンF6Fヘルキャットをも上回っていました。
しかし、急降下性能と防弾性に関しては、他機種に比べるとかなり劣っており、
それが致命的欠点となりました。

 

GRUMMAN F6F HELLCAT
グラマン F6F ヘルキャット 31-29

レーダー搭載のF6F−5N夜間戦闘機の編隊飛行
第二次世界大戦のヘルキャット・パイロットから多数の撃墜王が誕生しました。
名誉勲章を受けた大佐は34機を撃墜しました。

諸 元 比 較

三菱 A6M

グラマン F6F ヘルキャット

機体寸法

全  幅

12m 13.08m

主翼折りたたみ時

11m 4.93m

全  長

9.12m 10.23m

全  高

3.53m 3.99m

主翼面積

22.44u 31.03u

翼面荷重

107.90kg/u 410.87kg/u

パワープラント

950馬力
中島製NK1C栄”12型
14気筒空冷星型×1基
3翅金属プロペラを駆動
2,200馬力
プラット&ホイットニー製R-280010W
ダブル・syワップ18気筒星型×1基
3翅金属プロペラを駆動
重  量
空虚重量 1,745kg 4,152kg〜4,191kg
正規全備 2,421kg 5,670kg

最大離陸重量

6,991kg
燃料搭載量
機内燃料 855リットル 946リットル
機外燃料 330リットル 568リットル
性   能
最大速度 534km/h 621km/h
巡航速度 334km/h 270km/h
上昇限度 10,080m 11,389m
航続距離 1,162km 1,674km
兵  装

機関銃

7.7mm 2挺(前部胴体上部) 12.7mm 6挺
20.0mm 2挺(主翼内)
爆 弾 通常は120kg(60kg爆弾2発) 最大907kgまでの爆弾
     
     

露呈された弱点
開戦半年後に古賀一飛曹が操縦する零戦21型がダッチハーバー空襲中に被害を受け、
無人島に不時着、機体は事実上無傷の状態で米軍の手に落ちました。
これを米軍は飛ばしあらゆるデーターを作成しゼロ戦の弱点、
性能上では右横転が遅く、降下中の加速には多くの時間を要する。
一番致命的な防御性能がほとんどゼロに等しく、燃料タンク防御、飛行士用防御装甲は
”大和魂”任せの状態でした。

1944年にはF6Fヘルキャットが落とした零戦は1,466機を記録しました。

頑丈な機体に大馬力のエンジン。
着艦時に少々無理しても損傷しない脚など、ゼロ戦の初戦の優位はほとんどなくなりました。

米軍もゼロ戦の弱点を突くため一騎打ちの空中戦をやめ、複数でゼロ戦を
追い詰め、急降下に持ち込み打ち落とす作戦を取り入れ、ゼロ戦の消耗を計りました。

 

着艦に失敗し炎上するグラマンF6Fヘルキャットからパイロットを助けようとする
カタパルト発進士官

多いときは24時間に17機ものゼロ戦を撃ち落しました。

ゼロ戦の装甲改良
自動防漏燃料タンクや飛行士防護装甲など装甲の改善や主翼の外板材も厚くしたため
航続距離や旋回性能が落ちヘルキャットの餌食になるゼロ戦が日を追って増えました。

この他にゼロ戦には強敵グラマンF4Fワイルドキャットが対峙しました。
ワイルドキャットは、最大速度が幾分遅く、俊敏性でも零戦には及ばなかったが、飛行士用装甲と
燃料タンクには自動防漏装置を備えており、格闘戦に入った場合、F4Fの放つ数連射で、零戦は
撃墜され、俗に米軍では「七面鳥狩り」と呼んでいたほどでした。

ヘルキャットの運命
太平洋戦争終了後も米海軍にとどまり、戦時余剰機は、空対空ミサイル(AAM)および
地対空ミサイル(SAM)の追跡用の翼端カメラ・ロボットを取付けたF6F−5K無人機に
改装され消耗されました。

現在でも複数の零戦が米国内に保存され飛行可能な状態に置かれています。
冒頭の新聞記事がそのニュースです。

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